忍城

忍藩十万石の面影

行田市役所の近くの市内にある忍城は、1400年代に築城され、豊臣秀吉の関東平定の際には、石田光成の水攻めに耐えた「浮き城」として知られています。江戸時代の初頭には一万石あまり、終わり頃には松平十万石となりましたが、明治維新には解体となりました。 現在の忍城に立つ三階櫓(さんかいやぐら) は復興天守であり、昭和63年に再建したもので内部は郷土博物館の展示室の一部となっています。最上階からは市内が一望できます。この地は、利根川と荒川に挟まれた平坦な地形で、築城の頃は一面湿地帯であったと考えられています。 ところで石田光成は、忍城から南東の方角に位置する「丸墓山古墳」に布陣し、周囲 7里(約30km)にも及ぶ長大な堤を築いて、忍城を水攻めにしたそうです。しかし落城しない。このときの城の様子が、水の中に浮いているように見えたため、「忍の浮き城」と呼ばれるようになりました。横田酒造の「浮城」もここから名前をいただいています。

丸墓山古墳から稲荷山古墳を見る

御三階櫓わきから、本丸に復元された門に向かって一枚。

丸墓山古墳から稲荷山古墳を見る

行田市役所の脇から、 御三階櫓を見ることができました。紅葉と重なっていい感じでした。