「命にやすりをかける」といわれる酒造り。吟醸づくりに長けているとされる南部流が醸す酒は、杜氏の魂が込められた、銘酒と呼ぶにふさわしい酒と評価を頂いております。

すばらしき酒 「日本酒」

ご存知のように、日本酒は、米を醗酵させて作るアルコール飲料です。酒税法上では清酒(せいしゅ)と呼ばれますが、一般に酒(さけ)と呼ばれています。有名な「古事記」や「日本書紀」からも伺えるように、酒は神の好物で、酒を飲むことによって、人は神に近づけるという考えもあったようです。

新しい酒の仕込みが始まる厳寒期

杜氏、蔵人が「和」を持って、日の出前から始める作業には、 誰しもが神々しささえ感じるものと思います。やはり酒造りは、神聖な仕事と言えるかもしれません。

日本書紀、崇神天皇(すじんてんのう、紀元前97~30年)八年十二月の条には、「此の神酒は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の かみし神酒 幾久幾久」とあります。
現代語訳では、「この神酒(みき)は私の神酒ではない。倭の国を造成なされた大物主神が
お作りになった神酒である。幾世まで栄えよ栄えよ。」と言うことです。ここから"酒=栄え水"と言われたのかは分かりませんが、サケの名前の由来の説の一つに、"酒=栄え水"から、サカエ-サケエ-サケとなったというものがあります。おいしいお酒を飲みながら、日本の古の神々に思いをはせるのも楽しい事ではないでしょうか。

なお、同じアルコール飲料を様々な温度で味わう(冷や常温、燗)のは、世界を見回しても日本酒だけ。その製法は「並行被発酵」と呼ばれ、麹による糖化と酵母によるアルコール醗酵を、同一タンク内で同時に行ないます。これも世界の酒類の中で日本酒だけの製法です。なにか、日本酒は特別で、素晴らしいお酒だという気がしませんか・・・。

すばらしき「横田の酒」

さきたまの地で醸(かも)す、二百年の酒造り

横田酒造は、文化2年(1805年)の創業。江戸に下った近江商人・横田庄右衛門が良い水を求めてこの地で造り酒屋を開いたのが始まりです。日本橋の酒問屋で修行の後に独立。その際初心忘るべからずとの言葉を家訓とした事から、酒銘として「日本橋」を選びました。またこの名前には、五街道の起点、お江戸「日本橋」を酒銘として、全国に横田の酒が広まるようにとの願いも込められています。

古くからの趣を残す、秩父鉄道の東行田駅を最寄とするこの地域は、秩父を源流とする荒川水系の伏流水が豊かで名水の産地。敷地内の深く掘り下げられた自家井戸「福寿泉」から汲み上げられる弱軟水の水は、ゆるやかな発酵をうながし、まろやかな味わい深い酒を仕上げます。なおもう一つの酒銘「浮城」は、地元行田の忍城(おしじょう)が、石田光成軍の水攻めにも落ちなかったという故事から名づけました。

玄米から、酒を設計する

横田では、兵庫の「山田錦」、長野の「美山錦」などの酒造好適米のほか、地元埼玉県産の「朝の光」、「若水」などをすべて玄米のまま取り寄せ、全量を自家精米しています。それは、毎年微妙に違う米の質や状態を、玄米の段階から正確に把握することが大切だからです。当蔵では、今では設備している蔵が少なくなった大型の精米機を使い、杜氏と蔵人が注意深く丹念に米を磨いていきます。全量自家精米、ここに当蔵の誇りとこだわりがあります。

酒造工程のご紹介

全体工程

製造工程

横田の蔵に、12月の新しい夜明けがやってきました。今日も冷え込む早朝から、酒造りが始まります。

玄米で仕入れた酒造好適米(しゅぞうこうてきまい)を精米し、目的の大きさになるまで磨いていきます。玄米の外側にある余分なヌカ部分(灰分、脂肪など)は、雑味の元になるので、高級なお酒になるほどたくさん削っていきます。 精米は、酒造りの第一段階ですから、とても重要な工程といえます。この段階でお酒の種類や味がある程度決まってしまうとも言えるかもしれません。写真は、精米しながら、お米の粒を確認しているところです。

綺麗に磨かれた、高級酒造好適米「山田錦」です。 これは 大吟醸を造るために磨いたものです。もとのお米の40%以下の大きさまで磨かれています。この、どれだけ磨いて残っているのかと言うことを「精米歩合」と呼びます。例えば精米歩合が40%の場合には、4/10しか残りません。100俵の玄米が40俵以下になってしまいます。とても贅沢な事です。

お米を小分けして、米粒を割らないように手作業で丁寧に洗っていきます。この時、酒米が吸う水分に気を配り、所定の時間内で終わらせるようにがんばります。

気を使う洗米が済むと、つぎは酒米に水を含ませる浸漬(しんせき)を行います。写真は「福寿泉」の水を桶に入れているところです。飲んでおいしい「福寿泉」の水は常にポンプで汲み上げられています。蔵のご近所や少し離れた所からもこの水を求めてやって来る方々がいらっしゃいます。

ストップウォッチを片手に、いよいよ 浸漬に入る高橋杜氏。常に集中を切らすことのできない作業の連続です。

雪が残る中、余分な水分を落とす水切りを行います。たくさんあるので重労働です。でもここからおいしいお酒ができるので”やりがい”があります。

計算通りに水を含んだか、重量を量ってチェックします。蒸したときに最適な状態にるように、気温や水温、米質、精米歩合など全てを見極めて浸漬時間が秒単位で実施されます。ここでも長い経験が物を言います。

いよいよ、蒸米(むしまい)の作業が始まりました。釜(甑:こしき)の中には、布で仕切られたたくさんの、浸漬後の酒米が仕込まれています。

蔵の屋根からもうもうと立ち上る水蒸気。早朝の蒸米に入ると、遠くからでもこの水蒸気が上がる様子が見て取れます。

甑(こしき)の中から、蒸米(むしまい)を取り出します。このまま食べたくなってしまうような美味しそうな?蒸米ができました。これがお酒のもとになります。

蒸しあがった酒米を放冷機に移します。放冷機は蒸米を冷ます機械で、小さなコンベアで移動しながら自然に熱気を排出するものです。これで出来のバラツキが無くなります。

蒸されたお米は、麹(こうじ)を使って糖に分解しやすいアルファでんぷんに変化します。このときのお米の中の水分は、飯米を炊く時と異なり、35%~40%程度になっています。 放冷されて温度が30度程度になった蒸米は、そこから「麹室(こうじむろ)」に急いで運ばれます。

製麹(せいぎく)とは、麹(こうじ)を造ること。まず始に高橋杜氏が「放冷」の状態を確かめます。今日もできの良い蒸米に満足の様子です。杜氏は、ここで麹菌を植えていき、麹造り(製麹)に入ります。美味しいお酒ができるようにと、祈りながらの作業です。酒造りは、一麹(こうじ)、二酛(もと)、三造りと言われますが、麹造りはその重要な始めの段階になります。 約48時間の工程です。放冷して適正温度になった酒米は、温度が下がり過ぎないうちに急いで麹室(こうじむろ)に運び込みます。

麹室(こうじむろ)は、麹の繁殖に適した室温と湿度に保たれています。室温は35度、湿度65%程度で、人にはとても蒸し暑い環境です。みんなで暑いのを我慢しながら蒸米をほぐして行きます。これで植えた種麹も均等に付いていきます。麹室では、よく裸の作業イメージが知られていますが、横田酒造では衛生上の観点から、汗が飛ばない様に、清潔な作業着と帽子の着用が義務付けられています。

麹が均等に行き渡った蒸米を布で包んで麹の活動を助けます。このあと、一定時間ごとに"切り返し"を行います。"切り返し"は、麹の繁殖により蒸米がまとまって団子上になってしまうものを崩して、均一にならす作業です。製麹では、この作業が重労働ですが、これをしっかりしないと、ハゼ落ちと言って麹になりません。寝不足の日々が続きます。なお日本酒に使う麹には、 黄コウジカビが使われます。 (湿度が高いため、カメラのレンズが曇っています。)

麹蓋への小分け。一昼夜ほどで、麹の活動が盛んになり、蒸米の温度が高くなります。この時点で蒸米の温度を調整するために、蒸米を麹蓋に小分けします。

手間をかけてやっとできた「麹(こうじ)」です。写真は本醸造用の麹です。

酒母(しゅぼ)づくりでは、製麹で作られた「麹」と、「蒸米」、「水」を混ぜ、そこに「日本酒酵母(こうぼ)」を植えつけて造ります。本仕込みの前の準備段階の仕込みです。なお酒母(しゅぼ)は、「酉」に「元」と書いた字で”モト”と、よく呼ばれます。 この工程により、「日本酒酵母」が大量に培養されることになります。この酵母を培養する過程では、雑菌類が入ってきますが、これは乳酸の働きにより退治します。乳酸の生成は、 酒母づくりの段階で自然の中から乳酸菌を取り込んで生成する「生モト(きもと)」造りと、事前に準備した乳酸を加える「速醸モト(そくじょうもと)」に分けられます。

現在は、 生モトはほとんど無くなり、明治時代に開発された速醸モトが主流になっています。
「速醸モト」の良いところは、酒母造りを二週間程度に短縮できること、 一般にのど越しの良い酒になることです。(「生モト(きもと)」造りには、モト麹、掛米、モト水を混ぜてすり潰す重労働である"山卸し作業"を省略した「山廃モト」もあります。)

酒母(しゅぼ)ができると、大きなタンクに移して仕込みに入ります。酒母造りと同じように「麹」「蒸米」「水」を加えて行きますが、今度は三回に分けて加えて行き、「もろみ」を造ります。これを「三段仕込み」と呼び、それぞれ「初添(はつぞえ)」「仲添(なかぞえ)」「留添(とめぞえ)」と言います。 三段仕込みの目的は、酵母の濃度が薄くならないようにして雑菌に汚染されないようにするためで、この方法で安全な発酵を進めることができます。この工程では、麹カビが蒸米のでんぷんを「糖」に変え、「糖」が酵母の働きにより「アルコール」に変化していきます。これが世界でも類の無い「並行複発酵(へいこうふくはっこう)」です。写真は、櫂入れ(かいいれ)作業の様子です。「もろみ」を攪拌するもので、朝晩に行います。

タンク内の様子です。大吟醸の「もろみ」の発酵日数は、およそ一ヶ月程度ですが、これも酒蔵によってまちまちです。

上槽(じょうそう)とは、出来上がった「もろみ」を搾って(しぼって)、いよいよ清酒と酒粕(さけかす)に分ける作業です。横田酒造では、上槽に、「連続搾機(れんぞくしぼりき)」「槽搾り(ふねしぼり)」「しずく搾り」を、お酒によって使い分けています。左の写真は、手にした手桶(おけ)に「もろみ」を分けているところです。この手桶の中に分けられた「もろみ」をすぐ酒袋に移します。

「槽搾り(ふねしぼり)」の準備として、ひとつひとつの袋に「もろみ」を分けて入れたものを、槽(ふね)に丁寧に並べているところです。

槽搾り(ふねしぼり)の最後の準備です。このあと上からゆっくりと圧力をかけて(圧搾:あっさく)もろみを搾ります。吟醸酒などの高級酒は、手間を惜しまずに、この搾り方を採用しています。

搾られたお酒が、槽口(ふなぐち)から少しずつ出てきます。それを斗瓶(とびん)に取って行きます。このお酒は、いわゆる無濾過生原酒(むろかなまげんしゅ)で、残念ながら蔵でしか飲めません。写真は蔵人が斗瓶を入れ替えたところです。

写真は、次の「しずく搾り」のため、槽搾り(ふねしぼり)と同様に「もろみ」を袋に詰めているところです。「しずく搾り」は、圧力をかけて搾る「槽搾り(ふねしぼり)」とは異なり、タンクの上に「もろみ」を分けて入れた袋を吊るした後、布目から自然に滴る(したたる)お酒だけを集める、手間と時間をかけた贅沢な搾り方です。自然に落下させて搾るので、袋の中にはまだ多くのお酒が残ります。

にこにこしながら、「しずく搾り」の準備をする高橋杜氏。かなりの手間をかけた準備が必要とする作業ですが、杜氏の手により愛情が込められたお酒が絞られます。鑑評会出品酒はこの「しずく搾り」で造られています。

普通酒に使われる、「連続搾機(れんぞくしぼりき)」です。油圧で横方向に圧力をかけて、お酒を絞ります。じゃばら状の間に、酒粕(さけかす)が溜まります。これは手作業で剥ぎ取られます。なお最近では、酒粕の出ない醸造方法もいくつか開発されており、酒粕もより貴重になってくるかも知れません。

上槽(じょうそう)直後の清酒には、細かな粒子が残っています。ここでタンクに数日間そっと置いておくと、粒子は底部に沈殿して上側が澄んできます。その上澄みを取り出して、底部に沈殿した滓(おり)と分けることを、「滓引き(おりびき)」と言います。
そこからさらに濾過機に通して、より清澄(せいちょう)にします。写真は濾過の作業です。

「火入れ(ひいれ)」とは、清酒を加熱しての殺菌と、酵素の働きを止めることが目的の加熱処理です。特に加熱処理に失敗すると、いわゆる「火落ち菌」が増殖して香味が劣化、「火落ち香」「つわり香」 また、混濁(こんだく)を招いてお酒はだめになります。火入れは通常、貯蔵による熟成前と瓶詰め前の二回 行われます。ただし「生酒」は、火入れを行わず、「生貯蔵酒」は瓶詰め前に一回、「生詰め」は貯蔵前だけに一回行います。 写真は、「蛇管(じゃかん)」と呼ぶ清酒の火入れ(加熱殺菌)用の装置で、65度~70度ほどの温水槽に沈めて、その蛇管の中に清酒を通して火入れします。 また、大吟醸などでは、蛇管などを使わずに、瓶詰めをしてから瓶のまま火入れを行い、すぐに氷水につけて急冷する方法を取ることもあります。

清酒の熟成には、写真のようなタンクを使って貯蔵、熟成させる一般的な方法と、斗瓶(どびん)や一升瓶などに分けてから熟成させる方法があります。低温管理(15度~20度)された室内で保存されますが、一升瓶に分けた後に、0度近くで保存/熟成されるものもあります。貯蔵期間に、香味の熟成がおこり、荒々しい新酒の香味がおだやかになります。

通常は、加水調整によりアルコール分を調整して瓶詰めします。原酒の場合には、加水調整をしませんので、アルコール分も少々高く、濃厚な味わいとなります。